社会に身を置く人間の二面性
お子ちゃまバカ妻のみえちんです♪
今日はバカ妻みえちんのどうしようもない話です。
暗くなったらごめんなさい!!
ここ最近、私バカ妻みえちんは求人雑誌とにらめっこしております。
来月からバイトをしたいのですが、なかなか難しいもんです。
今まで十数年、ほぼ販売一本で働いてきました。
そこそこの値段がする販売だったので、ガッツリ接客販売です。
ありがたい事に、明るい性格だとか、幸せを人に与えるタイプだとか、私と話すと元気になれるとか、こんな私には勿体なさすぎる言葉をお客様からもらって。
年上のお客様ばかりだったので、いつも可愛がってもらっていたと思います。
昨年末、結婚を機に退職しましたが、泣いてくれたお客様もいて・・・本当にありがたい。
ありがとうございます!!
でも実は、面と向かって人と話すのが大の苦手でして・・・。
人と5秒以上目を合わせながら会話するのは必死です!(たぶんできてないです)
電車やバスは見知らぬ人と大接近するのが苦手で、1人ではほぼ使いません。
人混みの場所へは絶対に行きません。
○○の集まりとかも絶対に行きません。
研修や会議等、よく知らない人達と1つの部屋で時間を過ごす時は必ずお腹を壊します。
自分ではなかなか気付かなかったのですが、働いていた店から1歩出ると常に下を向いて歩いてたそうです・・・笑
おそらく仕事を辞めた今でも、外に出るとそうなのかもしれません。
人と目が合うのが怖いんです。
何故怖いのかは自分でも分かりません。
どんだけ自分に自信がないんだっ!?
って思うのですが、何の根拠があるのか自分の生き方はこれでも好きなんです。
楽しいことを「楽しいーっ!」美味しいものを「美味しいーっ!」そう言える自分。
けんちゃんを選んだ自分。
けんちゃんに選んでもらえた自分。
2人しかいない真の友人が、自分の友人でいてくれている事。
これだけで私の今の人生は成り立っているのかもしれません。
でも決して友人との関係に依存性は、お互い全く無かったりします。
それがまたいいんです。
けんちゃんには依存してるかもしれませんが・・・恥
自分を肯定できる面。
その一方で、どうにもできずに、もがく事もせず、何かを抱えたままのどうしようもない面。
「裏表がある人はイヤだ。」
私はよくこの言葉を使いますが、自分がそうなのかもしれません。
自分が自分自身に対して裏表を突きつけているような部分があるんだと。
私の場合、職場(店舗)が10人未満の少人数でチームワークが必要とされていました。
大人数の中の1人の言動より、少人数の中での1人の言動の方が、他の人に与える影響は大きいと感じていました。
チームワークが必要な分、スタッフ間の関係性も重要です。
雰囲気が悪いと、不思議とお客様にも伝わります。
私はいつも場の和ませ役に徹していました。
(無理な時も多々ありましたが・・・)
バカなキャラでいつも笑い、周りもそれを分かっていたので、私にツッコミを入れる。
いじられキャラですね。
損をする事もあれば得をする事もあります。
長年しっかりそのキャラが定着していたので、そこに苦しさはあまり感じていませんでした。
ですが、所詮「キャラ」なんです。
退職してから、ゆっくり今までを振り替える時間ができて色々気付く事もあります。
1人の言動が大きな影響を与える社会の中で、その社会で生きていく為におそらく私は
自分を客観視して欠点を補う事を考えたんだと思います。
ただ私はそれが上手に調整が効かず、極端に真逆の性質を作り上げてしまっていたんだと思います。
本来の私の真逆が「いじられキャラ」という事です。
結婚を機に退職し、社会から身を退いた時に、自分自身の人格の変化に驚く事が多々ありました。
でも思い返してみると、それはまだ社会を知る前の自分に戻っただけだったのです。
キャラが長年定着していた証です笑
働いていた時も「キャラ」である認識はありましたが、「それも1つの私」と思っていました。
もちろんそうなのかもしれません。
しかし、元々の本来の私は真逆の性質なのです。
二面性、裏表と言えるんだと思います。
そして、本来の元々の性質を自分の欠点と認識しているのです。
情けないものです。
そして、おそらく社会に身を置いている時から今もずっと、私の本来の性質をさらけ出してきた相手がけんちゃんなのです。
けんちゃんの前では、いじられキャラと本来の性質と混ざりあっています。
両極端な性格なので、それを受け止めてくれているけんちゃんには感謝と申し訳ない気持ちです。
何だか話の終着点が分からなくなってきました・・・笑
バイトではありますが、9ヵ月ぶりに他人と同じ時間と空間を共有する事を考えたら、色々な思いが出てきてしまいました。
珍しくナーバスなバカ妻みえちんでした。